死にたくないけど、死にたい。未来の世界を考えて、そんな矛盾した望みの先に見えたもの
こんにちは、しゆきです。
みなさんは未来の世界を想像したことがあるでしょうか?
最近のテクノロジーの進歩はめざましく、50年前であれば考えられなかったようなことが次々と実現しています。
ぼくが読んだマンガ「今際の国のアリス」のなかで1000年後の未来の世界についての記述がありました。
ぼくはその記述に衝撃を受けました。
あくまでそれは想像にすぎません。
が、その未来の世界はぼくにとって「恐怖そのもの」でした。
未来の世界
今の私たちの世界において、ナノテクノロジー、再生可能エネルギー、万能細胞、仮想現実、人体冷凍保存、テラフォーミングなど科学技術はロマンと希望に満ちあふれています。
マンガのなかで未来の世界の話は以下のように続きます。
人類が高い知能を得たことにより、ゲノム額、量子力学、脳科学…
あらゆる分野における世界の解明はいよいよ止まらなくなった。
(中略)
300年後、脳のメカニズムは解析し尽され、思考や記憶の移植が可能になったことにより、ついに人は「死」をも克服した。
(中略)
全てが完璧に整理された永久的制御機関の下で、不老不死になった人類は、その先の500年間を、脳の快楽物質のみを日々摂取しているだけでよくなった。
時間の束縛は弱まり、断片的な記憶が飛びかう虚ろな感覚の中で、いつ、何を、誰となどなく、幸せの絶頂だけを永遠に味わい続けている…
『今際の国のアリス』より
未来の話をすることがこのマンガの本筋ではありませんし、この未来の話にはっきりとした根拠があるわけでもありません。
しかし、この未来の話が完璧にウソだと言い切れるのでしょうか。
ぼくはこれらが実現可能なテクノロジーなのか論理的に解明する手段をもちません。
それでも、ここ最近の発展を考えると起こりうるような気がしてならないのです。
もっとリアルに想像してみよう
誰しもが自分の将来について考えたことはあると思います。
でも、それはきっとかなり漠然としたものでせいぜい10年が20年先のことでしょう。
では、1000年先の未来を真剣に考えたことはありますか?
ぼくはなかった。
だからこそ、衝撃をうけました。
未来の世界では、何億個と大量に並べられたカプセルがあってその一つ一つに人が入っていて、チューブにつながれた状態で必要なものをそこから摂取し、永遠に生き続けている…
他人事だと思わないで、リアルにイメージすればそれの恐ろしさはよくわかるでしょう。
果たしてそれは本当に人類が目指すべき幸せなのでしょうか?
今を生きる私たち
ここまで、未来の想像ばかりしてきましたが、あくまでそれらは可能性の話です。
これから起きるかもしれない、そんなことばかり考えて悩むのは無駄です。
今の私たちが生きる世界のことを考えましょう。
私たちは日々、自分の思い通りにならないものばかりに囲まれて生きています。
その最たるものが「死」です。
人間誰しも死にたくないし、大切な人が死ぬことほど悲しいことはありません。
しかし、もし「死」がなかったらどうなるか。
不老不死になれば、未来の世界のような状況になるでしょう。
死があるからこそ、人間は限られた時間を精一杯生きる。
時間をお金で買う、というように時間はとても価値のあるものですが、それも死によって生きられる時間は限られているからこそ。
人間は死を嫌うけれども、その一方で死によって生きる喜びを感じられる。
死を望まないけれど、死の恩恵をうけずにはいられない矛盾した生き物なんですね。
どう向き合っていくか
若いときって人生って永遠に続くような気がしませんか?
自分からどこか遠いところに「死」って存在してるような気がしませんか?
別にずっと死ぬかもしれないとおびえる必要はない。
でも、もしかしたら何かの事故にあって急に死んでしまうかもしれない。
寿命をまっとうできたとしても90歳くらいまで生きたとしても30000日くらいしか生きられない。
死があるからこそ、限られた時間を精一杯生きようとする。
これほど美しく輝くものはないと思います。
死を受け入れ、毎日を一生懸命生きる。
そんな当たり前のことを『今際の国のアリス』の未来の世界の話はぼくに気づかせてくれました。
最後はあの名言で締めくくりたいと思います。
If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?
(もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは本当に自分のやりたいことだろうか?)
-Steve Jobs(スティーブ・ジョブズ)
今日はこのあたりで、ちゃお!